世界を創る、ということ

芸術的表現は、世界の本質について語るために、積極的に、意図的に虚像を取り入れることを選んだ。ボルヘスはその著『伝奇集』の中で、


「長大な作品を物するのは、数分間で語りつくせる着想を五百ページにわたって展開するのは、労のみ多くて功少ない狂気の沙汰である。よりましな方法は、それらの書物が、すでに存在すると見せかけて、要約や注釈を差し出す事だ。」

と語っている。そのようにして創られる世界は、実在しないものの、強力なリアリティを持って立ち現れる。そういった思慮深く意図的に創られた嘘 = 虚像の上に成りたっている。芸術家は虚像を映し出すことによって、新しい世界を手に入れる。そこには、現実には存在しなかった広大な新しい世界を作り出したい、そこに自分だけの王国を築きたいという欲望、がある。嘗て存在しなかったもの、そしてこれからも存在しえないであろう何かを、虚構の概念装置によって作り出したいという欲望。芸術的表現は常に、時間と空間と重力を超越している。現実を超えた世界への憧れとして、芸術家は常に虚像の世界に進んで挑んで行った。ギリシャプラトンは、そういった非現実、虚構を作り出す詩人を認めることができずに、彼の”共和国”(republic)から排除してしまう。歴史の早い段階で、それ以来、芸術は常に反社会性、反現実性を問われることになってしまう。しかし、果たして、虚構の世界と、現実世界は完全に断絶しているのだろうか。事実、真の芸術は、虚像を作り出すことで、現実世界の深層に迫ろうとしているではないか。