世界認識としての虚像

現実世界のふるまいや構造、あるいは原理に忠実であることをリアルと呼ぶことがある。しかしその一方で、心の中のイメージに近いものも、リアル、と呼ばれることが多い。つまり、リアリティの拠り所には、二つあって、一つは外界の現実世界、もう一つは私たちの内面にある心象世界なのである。このような二つの世界という構図において、良い題材になるのは、映像という技術によって生成されるイメージである。

複数の静止画像によって動きを作り出すというアニメーションの技術は、今日では普遍的な表現手段になりつつある。アニメーションの歴史の上で、私たちはそれによって生成される世界が現実とはかけ離れたものであることに早い段階から気づいていた。 Bounce and Squashing 、つまりビヨンビヨンというボールの跳ねる軽快なあの独特な動き、はディズニーに多く見られるようなアニメーションにおける基本的技法である。実際には、現実世界において、ボールがこのように振る舞うことはあり得ない。しかしながら、同時に、私たちの目には、このような動きを呈するボールは非常に「それらしく」映るのである。事実、アニメーションが現実世界とは違うように振る舞うという発想は、アニメーション自体と同様に長い歴史を持っており、ウォルト・ディズニーはもっともらしい不可能 (plausible impossible) ということについて、早い段階から言及していた。これは当然ながら、ある種のリテラシーに基づいたアニメーション表現における文化的記号では、ある。しかし、それは物体の振る舞いを抽象しながら、またアクセンチュエートすることによって得られた、現実には存在しない、非常にリアルな彩度の高い像、つまりは虚像である。こういった表現型が探索され、獲得され、長く採用されているということの裏には、このような虚構の振る舞いが特有の鮮やかな運動の人間の心理的内面的リアリティを生成する力を持っているからだろう。