萌えと虚像

石器時代のビーナス像には、不自然に胸部や臀部に歪められた現実にはあり得もしない非人間的な形態が伴う。胸部や臀部の形態というのは、強度の強い本能的記号である。そこには生身の人間よりも強烈な人間らしさが込められ、生への意志や願望、あるいは祈願といった人間の内面に如実に寄り添う力があった。我々は、いびつに歪んだ土の固まりを通して、身体に備わった神秘性を崇め、またそこに強烈な人間らしさを封じ込めることができたのだ。だからこそ単なるこの土の固まりがある種の儀式性を獲得し得たのだろう。もちろん現代においても、こういった身体的表現によって意図的に作られた虚像は多く見られる。ファッション紙やポップカルチャーに見られる身体にまつわるイメージである。もはや生身の人間をとうに超えてしまった造られた身体像が、実在する我々の生身の身体を脅かしているところに、現代の人々がもつボディ・イメージに関わる病的な状況が展開されている。あるいは、日本のオタク文化は、多くの身体的記号によって構成されるイメージに溢れている。これらの身体表象は、ある文化内において効力を発揮する身体的記号( =『萌え記号』)に遠心力をかけ、それらの記号群を寄せ集めることで得られる生身の身体よりも遥かに彩度の高い虚像である。この虚像という概念に関して、動物と人間を分つのは、人間はこのような虚像を扱う --- つまりそれを探索し、理解し、ある目的のために意図的に作り出す --- ことのできる、唯一の生物であるということだろう。

このように我々は、現実世界が呈するリアリティとは別種の、しかしながら強烈なリアリティを我々は虚像の中に見る。この虚像を通して得られるリアリティとは一体何なのだろうか。